仕事が出来ないじゃなくて、やりたくないのでは?

会社で頼まれた仕事を出来ないと断ったりしていませんか?

マニュアルに書いていないから出来ませんと言い放っていませんか?

知り合いの会社内には、仕事を依頼すると出来ないとかマニュアルに書いてあるので分からないからという理由から仕事に手を付けようとしない人が居るとか。たしかに会社内で、仕事の進め方や取り組み方に一貫性を持たせるにはマニュアルは大切。

ただ、マニュアルのなかに記載されていないこともしなければならないこともあるのが、仕事かもしれない。逆にマニュアル書いてあれば、どのような仕事もこなすことができるのだろうか?

マニュアルに書いてないことがあれば、書き足していくということをしていけば、マニュアルがとんでもない分厚さになってしまいそうで、恐ろしいと感じてしまう。

頼まれた仕事を着手しようと思ったけどマニュアルに書いてなかった、今までにやったことがないから、という理由で仕事をしなくても良いというのであれば、とても幸せな会社だと思う。そんな会社は聞いたことがない。そんな会社があれば今更ながら入社してみたい。

マニュアルに書いてないから、やったことがないから、分からないからというような理由で仕事に手を付けない本当の理由は、やりたくないからではないのだろうか?

やりたくない理由というのは、ミスしたら嫌だとか、間違えてしまったら恥をかくかもしれないとか、仕事をこなすことの大切さよりも自己保身を優先して考えてしまっているからではないのだろうか? 自己保身を優先する気持ちは分からなくはないけど、自分を犠牲にするという気持ちを持つことも大切なのだと思う。誰かがやらなければ、誰もやならいのだから。自分がやらなければ、誰もやらない。

マニュアルに書いてないから、やったことがないから、分からないからというような理由で仕事をせずに給料が貰えるのだろうか?これまた、不思議だなと思うところ。月給という仕組み上、サラリーは支払われるのだろう。だから、サラリーマンなんだろうと思う。

私なんて、判らなかったら仕事にならない、経験したことのない仕事なんて入ってこない。実績がモノを言うということもあるから。マニュアルの有無なんて関係なかったりしてしまう。そして、自らが率先して仕事に取り組んでいかなければ、お仕事が入ってこなくなってしまうし、稼ぎが減ってしまう。フリーで働いているということは、全て自分の判断で采配ができるというメリットがあるものの、やりたくない仕事を断り続けると、お仕事が減ってしまうかもしれないという危機感もあったりする。

もちろん、会社という組織に属している人と会社という組織に属することなく仕事をしている私とでは、明らかに立ち位置が異なるし、考え方も違ってくると思う。

仕事なんてものは嫌なもの。

ただ、仕事は任された事なのだから、そこには責任が発生する。

人が嫌がることを率先してこなすことこそが自分を磨くための経験みたいなものなんだと思う。経験の験は、修行を積んだ者だけに使われる文字。だから、修験者。だけど、私は修験者ではない。ただ、様々な経験を積むことで、これからの験担ぎになるだろうと信じている。

潜行密用 如愚如魯(せんぎょうみつよう ぐのごとくろのごとく)という言葉があります。意味としては、人間の本当の美しさは、人が見ていないところでの美しい行いにあるというような意味があります。

潜行密用(せんぎょうみつよう)は、目立たないように、そして秘かにという意味があり、それは人の目に触れないようにという意味も含まれています。そして、如愚如魯(にょぐにょろ)は愚か者という意味があります。つまり、人が見てないところで努力したり、頑張ったり、美しい行いをすることは、愚か者である。誰も見ていないのだから、誰も評価してくれない・・・というようなところから来た言葉です。

本当の人としての価値、美しさは人が見ていないところで発揮されます。

人が見ていないからゴミを捨てますか?
人が見ていないからいい加減な仕事をしますか?
人が見ていなかったら盗みをしますか?

人が見ていないからこそ自分の能力を発揮したり、本当の美しさを追求するべき。とくに私みたいなフリーでお仕事をしている人間なんて、発注者側、クライアント側からは見えないところで仕事をしているわけだから、見えないところで仕事をしていても、出来上がった成果物は美しく、妥協がなく、確実なものを仕上げるように心がけている。

潜行密用 如愚如魯(せんぎょうみつよう ぐのごとくろのごとく)人が見ていなくても美しい行いをする。これは、私のプライドというか信念みたいなものかな。

プログラマーやってる人とか、コード書いている人ならわかるかもしれない。

プログラムコードなんて、わざわざ見ない。

一般的な人が目にするのはプログラムコードが生成したインターフェイスや視覚的な、ビジュアル的な側面だけ。

だけど、人が見ないからといって、いい加減なプログラムコードを書くという人は少ないのではと思う。それは、プログラマーとしての信念、コーダーとしての拘りなどがあり、美しいコードであるべきだと想い描いているインデントを加えたり、読みやすくブランクスペースを入れているはず。

まさしく、潜行密用 如愚如魯(せんぎょうみつよう ぐのごとくろのごとく)だと、私は思う。

人が見ないところ、人が目にしないところも美しさを追求する。
スティーブ・ジョブズ氏の言葉にもあったはず。

そう。

きっと、判るとか判らないとか、仕事ができる、仕事ができない、マニュアルに書いてある、書いていないというようなことが問題なのではなくて、仕事を取り組もうとしている人の心の問題なんだと思う。

美しい心を持って仕事が出来ているのか?

それだけなんだと思う。

私も美しい心で頑張ります。