サラリーマンをやってきたという価値

私はサラリーマンで働いていた時期があります。
けっこう長かったですよ。

現代では経営の神様と呼ばれている、二股ソケットを発明した社長の会社です。社名が変わる前ですから、けっこう昔のお話ですけどね。経営の神様と呼ばれていますが、私が居る頃は経営者というよりは、発明家という感じでしたけどね。どこで、変わったのかは判りませんが。

サラリーマンをやっていて良かったと思うことの方が多いですよ。人との接し方とか、お客様との会話の仕方とか、振る舞いとか、食事の席でのマナーとか色々と勉強になりましたね。冠婚葬祭に関わるマナー的なことは、全て学ぶことが出来ました。

上司がゴルフが好きで、ゴルフをする機会も多くて、けっこう短期間で上達が出来たというのも良かったなと思いますね。今は接待ゴルフじゃなくて、本当にゴルフが好きで続けていますけど。

細かなことだけど、請求書の作り方とか、領収書とか、収入印紙のこととか、そういった書類関係に関わる知識なども身に付いたし、電話対応もそれなりに出来るようになったし、ネクタイの結び方だって自分の拘りを表現できるようにまで上達したし。仕事の実務面では無理難題をクリアーするための知恵もついたと思う。残業も多かったですよ。定時が来る前に、今日は残業になるかもしれないと思ったら、残業申告用紙に氏名、理由等を記入して上長に提出をします。誰が社内の何処で何をしているのかが常に明確化されていて、なんだか働きやすかった記憶があるな。労働組合も会社側と歩調を合わせているところがあって、不協和音を起こすことなく運営されていたように感じる。

会社というのは人が集まって、ひとつのことを成し遂げようとする場所。ひとつじゃないかもしれないけどさ。人が集まって協力をするということは、色々な人との関係を持たなければいけないので、自分以外の考え方とか新しい視点などを知ることが出来る。協調性というものの必要性を感じる。私は個性的で、考えも個性的で、誰とも違うんだなんて言っていると協調性が欠けてしまっている人と捉われてしまう。個性は大切だけど、輪を乱すようなことは良くないですからね。

バブル直下という時代背景もあって、入社して2年も経っていないのに、高給だったと思う。今より良いかもしれない(笑)だって、会社に勤めている間は高給が続くのだから。そしてボーナスもあるし。自分に能力があったとか無いとかじゃなくて、仕事量が多くて半ば強制的にやらなきゃいけない空気があったから、働けるだけ働いたという感じ。なかなか楽しかった。

こういった想い出話をしていると、バブルは良かったな~と言い出してしまいそうだな。

私はね、フリーで働いているからさ、毎月の収入というのはバラつきがあるのだけど、サラリーマンは毎月固定給じゃないですか。ほぼ、毎月同じくらいの給料が確実に入ってくる。これって今の時代では、凄いことなんだけどね。給料が高いとか安いとかじゃなくて、毎月確実に入ってくるということが凄い。それは、社会的な信頼も得やすいということにもつながるし。だって、何があったとしても向こう1年間の収入というのは決まっているのだろうし、知ることが出来る。将来設計も立てやすいってもんだ。

給料が安いからと嘆いているよりも、毎月確実に収入が入ってくるということが、どれだけ感謝すべきことなのかを認識しないといけないと思う。会社から貰っている給料分を会社からではなく、別の方法で、自分の考えで収入として得られることが出来るのかどうか。そして、自分のチカラで収入を得るために費やす努力というものは、どれほど大変なのかを知るということも良いことかもしれませんね。人の苦労が判るし。お金の大切さも判ってくる。

サラリーマンをやってきた価値って大きなと思う。

仕事が出来ないじゃなくて、やりたくないのでは?

会社で頼まれた仕事を出来ないと断ったりしていませんか?

マニュアルに書いていないから出来ませんと言い放っていませんか?

知り合いの会社内には、仕事を依頼すると出来ないとかマニュアルに書いてあるので分からないからという理由から仕事に手を付けようとしない人が居るとか。たしかに会社内で、仕事の進め方や取り組み方に一貫性を持たせるにはマニュアルは大切。

ただ、マニュアルのなかに記載されていないこともしなければならないこともあるのが、仕事かもしれない。逆にマニュアル書いてあれば、どのような仕事もこなすことができるのだろうか?

マニュアルに書いてないことがあれば、書き足していくということをしていけば、マニュアルがとんでもない分厚さになってしまいそうで、恐ろしいと感じてしまう。

頼まれた仕事を着手しようと思ったけどマニュアルに書いてなかった、今までにやったことがないから、という理由で仕事をしなくても良いというのであれば、とても幸せな会社だと思う。そんな会社は聞いたことがない。そんな会社があれば今更ながら入社してみたい。

マニュアルに書いてないから、やったことがないから、分からないからというような理由で仕事に手を付けない本当の理由は、やりたくないからではないのだろうか?

やりたくない理由というのは、ミスしたら嫌だとか、間違えてしまったら恥をかくかもしれないとか、仕事をこなすことの大切さよりも自己保身を優先して考えてしまっているからではないのだろうか? 自己保身を優先する気持ちは分からなくはないけど、自分を犠牲にするという気持ちを持つことも大切なのだと思う。誰かがやらなければ、誰もやならいのだから。自分がやらなければ、誰もやらない。

マニュアルに書いてないから、やったことがないから、分からないからというような理由で仕事をせずに給料が貰えるのだろうか?これまた、不思議だなと思うところ。月給という仕組み上、サラリーは支払われるのだろう。だから、サラリーマンなんだろうと思う。

私なんて、判らなかったら仕事にならない、経験したことのない仕事なんて入ってこない。実績がモノを言うということもあるから。マニュアルの有無なんて関係なかったりしてしまう。そして、自らが率先して仕事に取り組んでいかなければ、お仕事が入ってこなくなってしまうし、稼ぎが減ってしまう。フリーで働いているということは、全て自分の判断で采配ができるというメリットがあるものの、やりたくない仕事を断り続けると、お仕事が減ってしまうかもしれないという危機感もあったりする。

もちろん、会社という組織に属している人と会社という組織に属することなく仕事をしている私とでは、明らかに立ち位置が異なるし、考え方も違ってくると思う。

仕事なんてものは嫌なもの。

ただ、仕事は任された事なのだから、そこには責任が発生する。

人が嫌がることを率先してこなすことこそが自分を磨くための経験みたいなものなんだと思う。経験の験は、修行を積んだ者だけに使われる文字。だから、修験者。だけど、私は修験者ではない。ただ、様々な経験を積むことで、これからの験担ぎになるだろうと信じている。

潜行密用 如愚如魯(せんぎょうみつよう ぐのごとくろのごとく)という言葉があります。意味としては、人間の本当の美しさは、人が見ていないところでの美しい行いにあるというような意味があります。

潜行密用(せんぎょうみつよう)は、目立たないように、そして秘かにという意味があり、それは人の目に触れないようにという意味も含まれています。そして、如愚如魯(にょぐにょろ)は愚か者という意味があります。つまり、人が見てないところで努力したり、頑張ったり、美しい行いをすることは、愚か者である。誰も見ていないのだから、誰も評価してくれない・・・というようなところから来た言葉です。

本当の人としての価値、美しさは人が見ていないところで発揮されます。

人が見ていないからゴミを捨てますか?
人が見ていないからいい加減な仕事をしますか?
人が見ていなかったら盗みをしますか?

人が見ていないからこそ自分の能力を発揮したり、本当の美しさを追求するべき。とくに私みたいなフリーでお仕事をしている人間なんて、発注者側、クライアント側からは見えないところで仕事をしているわけだから、見えないところで仕事をしていても、出来上がった成果物は美しく、妥協がなく、確実なものを仕上げるように心がけている。

潜行密用 如愚如魯(せんぎょうみつよう ぐのごとくろのごとく)人が見ていなくても美しい行いをする。これは、私のプライドというか信念みたいなものかな。

プログラマーやってる人とか、コード書いている人ならわかるかもしれない。

プログラムコードなんて、わざわざ見ない。

一般的な人が目にするのはプログラムコードが生成したインターフェイスや視覚的な、ビジュアル的な側面だけ。

だけど、人が見ないからといって、いい加減なプログラムコードを書くという人は少ないのではと思う。それは、プログラマーとしての信念、コーダーとしての拘りなどがあり、美しいコードであるべきだと想い描いているインデントを加えたり、読みやすくブランクスペースを入れているはず。

まさしく、潜行密用 如愚如魯(せんぎょうみつよう ぐのごとくろのごとく)だと、私は思う。

人が見ないところ、人が目にしないところも美しさを追求する。
スティーブ・ジョブズ氏の言葉にもあったはず。

そう。

きっと、判るとか判らないとか、仕事ができる、仕事ができない、マニュアルに書いてある、書いていないというようなことが問題なのではなくて、仕事を取り組もうとしている人の心の問題なんだと思う。

美しい心を持って仕事が出来ているのか?

それだけなんだと思う。

私も美しい心で頑張ります。

IT と 禅 ZEN と 呼吸

私たちが使っているスマートフォンをこの世に生み出した、スティーブ・ジョブズ氏が禅宗だったということから、禅 ZEN というものが浸透してきたように感じる。いやいや、それよりも以前から禅はあったし、座禅とかしている人もたくさん居たと言う人も居るかもしれない。もちろん、もっと昔から禅に傾倒していた人も居たと思う。

海外で流行りだすと、やりたくなってしまうのが日本人。

昨今では、お寺で座禅をさせてくれたり、そういった坐禅会というかセミナーっぽいのも増えてきている。座禅をして集中力をアップさせようとか、自分の潜在能力を高めようとすることは素晴らしいことだと思う。

だけど、私は座禅が嫌い。
大嫌いだ。

家柄なのかもしれないけど、上山研修に連れて行かれたりしていたこともあったし、子供のときは泣きながら座禅とかさせられていたし。ワンパク坊主だったから、何かしら問題を起こすと、婆様の寺に閉じ込められたりしていたから、もう勘弁という感じですね。それは、私が悪いんですけどね。わかってますよ。

昔は神仏習合というのがあって、神も仏もいっしょくたの時代があったようですから、なんか大変ですよ。

座禅はインドの・・・達磨の・・・とか小難しい話がありますが、平たく簡潔に言ってしまえば、座禅は呼吸法ですね。YOGA(ヨーガ)も似たようなところがあって、呼吸法を重要視していますね。つまり、深く息を吸って、大きく息を吐くという深呼吸は身体にとって、とても良い影響を及ぼすということです。

たくさん酸素を取り入れれば、身体の隅々にまで血が巡るようになり細胞が活性化される。そして、深呼吸の最大の効力はミッドアルファ波を発生させるということ。アルファ波の中でも揺れ幅が少ないのがミッドアルファ波。ミッドアルファ波が脳内で発生されると瞑想状態に近い状態になる。意識脳と潜在脳がシンクロして、様々な情報を取り出したりすることが出来るようになる。例えば円周率の桁数を言い続けられる人というのは、記憶しているのではなく、暗記をしているといこと。瞑想状態を作り出し、潜在脳から取り出している。アルファ波とかを知る前から、正しい姿勢で適切な呼吸をすることは身体に良いと気付いた古来の人は賢いですね。

将棋の羽生善治さんもミッドアルファ波を発生させることが出来るらしく、瞑想状態をつくりだして、今までの情報の中から経験したことのある局面を取り出してヒントを得ながら手を考えるということをしているようです。

瞑想状態を自ら作れるのなら作ってみたいですが、座禅を経験した私からすると凡人には無理ですね。でも、航空会社のJALを立て直した著名な経営者の講演を聞いた時には、あの人は本当に禅が出来ているのかもしれないとは思いましたけど。

現代でいうところの禅 ZEN 、座禅というのは、様々なデバイスを使用することが多くなったし、多くの人達との折衝も増えてきたので、そういった疲れを癒やすためのリラクゼーションに近いのではないかと思います。

長時間に渡ってパソコンの画面を見続けて、スマートフォンの小さな画面を見て、色々と考えて仕事をしているのですから疲れるにきまっています。やることばっかり増えて、会社は定時で従業員を帰らそうとするし、限られた時間の中でなんとか多くの仕事をこなそうとしてしまいます。疲れるに決まってるよ。

呼吸も浅くなり、小刻みな呼吸しか出来ていないはずです。仕事の合間の休憩中に深呼吸とかしたことなんて無いでしょ?

仕事の合い間の休憩に青空とか見たこと無いでしょ?

そして、神経もすり減ってしまいます。そういった、現代特有の疲労を軽減させる役目を担っているのが、座禅なのかなと思います。目を閉じて、姿勢を正して、深く息を吸って、大きく息を吐くという、人間としてき基本的な呼吸方法すら出来ていない現代のワークスタイルがある。 ただ、それだけでもリラクゼーション効果は十分にあるみたいですよ。

慣れてくると車を運転していて、信号待ちの短い間でも瞑想状態をつくれるようになるようです。そういった人も居ます。車運転しながら瞑想をするのは、どうかと思いますけど。

そういえば、ゴルフで活躍をしている松山英樹くんですが、東北福祉大学出身です。東北福祉大学というと、あまり知られていないような雰囲気が強烈に漂っておりますが、禅宗が前身となっている学校ですよね。学園内には禅堂もありますから。曹洞宗 曹洞禅です。 彼の試合での土壇場での爆発的な底力と、強烈な集中力と猛追というのは、もしかしたら禅から来ているかもしれないね。あとは、ソレンスタムも禅やってますと公言していましたね。そして、ビジェイシンも。タイガーウッズは仏教徒。まー、あれだ、長くなるので松山英樹くんだけでも知ってくれれば良いかな。

ちなみに海外で知られている禅 ZEN というのは、元々は日本人が広めたものだったりもします。鈴木大拙という先生がいらっしゃいまして、初めて英語で禅のことを書いた本を出版しました。そして、瞬く間に世界中に広まりました。スティーブ・ジョブズ氏も読んでいるでしょうね。海外から入ってきたように思われる禅ですが、ルーツは日本人だったりします。もちろん、禅 ZEN は外国から日本に入ってきましたけど、広めたのは鈴木大拙先生の書籍が基になっているでしょうね。そして、海外でひろまって、また日本に入ってきたという感じですかね。入ってきたと言うか戻ってきたという言い方の方が適切かもしれない。鈴木大拙先生の書籍は現代で購入が出来るはずです。アマゾンとかで価値を知らずに1円とかであるかもしれませんね。 鈴木大拙先生の書籍 AMAZON

これから海外から日本に入ってくるモノの中でもルーツが日本人だというものがあるかもしれませんね。

日本人がんばろっと!

見えないところを見る能力

見えないところを見る能力は大切ですね。

見えないところを見るなんていうのは、透視とかじゃなくて、モノを作るということに関わっている人なら判ってもらえるかもしれないけど。

例えば、プログラマーだという人の場合。

プログラムコードを記述していきます。そして、プログラムを起動させて、どのような動きをするのか、不自然な動きをしないのかなどの動作チェック、挙動チェックなどをします。そして、バグ取りをします。もし、不具合などが見つかった場合には、なんとなくですが、プログラムのあの場所がおかしいのかもしれないなと瞬時に判ることもありますよね。

それは、プログラムのコードを見てもいないのに判ったりしちゃう。

もちろん自分で記述したプログラムコードだからさ、それなりの記述内容、設計、仕様などが頭の中に入っているから、この不具合はコードの1520行目の箇所かもしれないと判るのだろうけど。

それって、自分の頭の中にプログラムコードを想い描いていて、記述に誤りがあったかもしれないということに気付くということは、プログラムコードを実際にエディタなどで開いていなくても、頭の中にプログラムコードを描写をして、バグを発生させている箇所を頭の中で見ているんだろうね。そういった能力って素晴らしいと思います。

家電製品の修理でも同じ様なことがあるんだけど。

壊れたテレビの修理依頼をしたら、修理をする電気屋さんは壊れているテレビの症状を聞いて、そして実際に見て、もしかしたらあそこの箇所の部品が劣化しているかもしれないから部品を取り替えるだけで直るだろうと、気付くわけです。

それは、電気屋さんですから、いつもテレビの修理などをしていれば、壊れてしまったテレビの現状の症状を聞いただけで、何処に不具合が発生しているのかなどの原因か判るんだろうね。

でも、その時っていうのは、電気屋さんの頭の中にはテレビの中身の部品、配線、仕組みなどが想い描かれていて、故障している箇所に気付くわけでしょ。実際にテレビを分解しているわけでもないのにさ、自分の頭の中ではテレビを分解したかのようにテレビの内部の映像が描写されているんだろうなと思うの。

こういったことって誰もが経験があるはずです。

見えていなくても、見えなくても、少ない情報から原因を追究するためのヒントを頭のなかで探っているはずです。こういったことが出来るようになるには、慣れとか、経験が必要だと言われるはず。だからこそ、そういった経験、知識、能力を身に付けるために、石の上にも三年という言葉があったのかなと、勝手に思い込んでしまったりもする。

たしかに慣れ、経験は必要です。

でも、これって誰もが最初から持っている能力なんですよね。その能力に気付くか、気付かないかの違いだけであって、気付いていれば、もっと自分の能力に自信を持って良いはず。

見えないところを見るというのは、特に日本人は長けているみたいですね。モノづくりに関しても日本は優秀であると世界的に認められていますから。どうやら、目に付く外側だけではなくて、見えない内側を見るということに長けているのが日本人。それって、精神世界の話にリンクするような気がする。

日本人というのは、もともと内側を見ようとする文化のなかで生活をしてきましたからね。精神とか心のなかとか。目には見えないけど、存在するエネルギーのようなものを信じていたりもしますから、そういった信じるチカラが見えないところ見えるようにしているのかもしれません。

自分の目で見えるものを理解して、把握をすることは勿論のこと、目に見えない何かを見ようとすること、自分の内側を見ようとする文化が根付いているのが日本という国だから。

見えないところを見る能力というのは、現場で頑張る人たちだけではなく、経営者にも必要だと思う。いや、経営者だから必要になるのかもしれない。見えないことが多いから、見える化推進というのもあったけど。自分の会社の中で何が起きているのか見えないというのは、危険だと思う。

見えないところを見る能力を持っているという人は、ある意味すごい素質を持っているということなのかもしれないですね。

経験をするということは修行と同じ

何事も経験だと言われたことのある人は多いと思うんだ。
私も言われたことあるもん。

でも、何事も経験だと言われると、なんだか自分がやりたくない事をやらされて、大変なことになってしまうのではないかと思ってしまい、なんか嫌だなと感じてしまうことがある。私も20代の頃にはあったよ。そんな気持ちになった。出来れば、あまり労力をかけずに済ませたいなと考えてしまうんだよね。別に逃げている訳じゃないんだけど、結局は嫌なことから逃げようとしている自分が居るんだな。

経験という言葉は 経 と 験 という字で成り立っている。

経は経線とか経営などにもつかわれる字です。経営の意味が理解できていれば、経とは糸を意味していることを判ってもらえると思う。そう、その糸は真っ直ぐな縦筋の糸を意味しています。経営も真っ直ぐに筋が通すこと、人としての道筋をたてること、道を外れないことなどを意味している。

経験の験は、験を担ぐという意味の験。修験者の験でもある。験というのは、人がある行いをしてきたことの効能、効果、効き目の事を意味している。そういったチカラのことを験力と言います。

経 と 験 を合わせて 経験。

それは、真っ直ぐに生きてきた人が得ることが出来た験のこと。

年齢は関係ないと思う。

年齢が若くて、未熟だとか言われるかもしれないが、一生懸命に生きてきて、努力をしているのであれば、それなりの経験値が得られる。自分の手を汚して努力をしてこそ験が得られるのだと思う。

というような話を私は子供の頃から聞かされてきた。
とても良い言葉だと思う。

験力を得るために修行をする人たちも居ます。
修験者の人達です。

日本古来から山岳信仰というものがあり、修験者の人たちが歩く道、修験道なるものもあります。現代でも残っています。私は修験者じゃないけど、似たようなことをさせられたけど、けっこう大変ですよ。宗教とかじゃなくて、そもそも苦行を積むということは、昔から行われてきたということ。苦しい行いをして自分を磨くという考えなんだろうと思う。それは、験を修めるということ。経験。

修験者じゃなくても、今現在自分が行っていること、取り組んでいる仕事などに対して、今以上の能力、今以上の技術力を見に付けたいのであれば、やはり修行が必要だと思う。実は私たちは、山岳信仰でいうところの修験道とは違う修験道を歩いているのかもしれない。

修験者とか験力とか、なんともバカバカしいなと思われるかもしれないけど、IT関連、クリエイター、プログラマーは率先して禅の心を修得しようとしている活動もありますよね。小手先の技術じゃない、小手先の科学じゃない、デジタルじゃない、本当の心が通った技術を身に付けたいのだろうと思うし、集中力、新しい発想力、今までに無かった考えを見出そうとしているのだと思う。それって、言葉は違うけど新しい経験を取り入れようとしているのだと思う。ということは、験を担ぎたいんだよね。験を担いで、その験力を仕事に活かして、社会のために役立てようと考えていたりするわけでしょ。今までに無い便利なアプリとかウェブサービスを開発したりなんかしちゃったりもするわけで。

今現在の自分には無いチカラを身に付けようとする時には、やった事の無いような新しいことに挑戦をしてみようと思うだろうし、新しいことを勉強してみようと思うだろうし、何か楽しい事をしてみようとする。それって、今までに無い経験をしようとしていることでしょ。

つまり、経験とはそういうこと。

だけど、やりたくないなと思う経験もあるわけ。やりたくないと思う経験というのは、自分が経験したいと思っている内容とは異なっているから嫌だと思うんだろうね。

新しいアイデアを生み出すために何をする?
人それぞれ、色々な方法がある。

それは、その人の想い描いている事と合致するかどうかだよね。その方法と自分が合うかどうかの相性だよね。その人の素質っていうのもあるから。無理させても出来ない事もあるから。

いつも、皆 修行をしているんだ。

たくさん経験をして験を担ぐ人になりたいな。

知らずうちに経験豊富な人の存在価値というものが判ってくるから不思議。経験豊富な人というのは、楽しいことも、苦しいことも、楽しいことも、悲しいことも、痛いことも、嫌なことを知っているから自然と人の気持ちが分かる人になるんだろうな。だから、人に慕われるんだと思う。人の質というのは経験から生まれるかもしれない。

私も、まだまだ修行中です。

会社は美しい心を表現するためのフィルター

会社という組織に属していると、自分の能力を活かしても、自分が一生懸命生み出した創作物も会社の手柄になってしまう。自分が頑張って良い創作物を発表したとしても、結局は上司とか先輩とかの手柄になってしまう。

 

会社の手柄になる

なんだ、オレが頑張って創作物を生み出したのに、褒められるのは上司とか先輩で、社会的に認められるのは会社なんだ。御社には、このような素晴らしい作品を生み出す従業員がいらっしゃるのですね! 素晴らしい企業ですね! と言われて会社としては誇らしいかもしれないが、それってオレが作ったやつじゃんね~と、いじけたくなるものだよ。これが世の中の仕組みなのかと斜めに構えてしまったりもする。

だから、会社を辞めて、フリーで働くことにしたという人も多いかもしれない。私は、そんなタイプだったと思う。だって自分でつくったんだもん。こっちに還元してもらうのが普通じゃんとか思ってしまうんだよね、そのときは子供の様な考え方だったし、こんな考え方は間違っているということも最近になって気付きました。

 

社会不適合なのか?

でも、冷静に考えると、私という人間は、会社という組織に属することが出来ない不適合者かもしれないと思ったりもする。というよりも、もともと会社という組織に属したいと思ってないし、必ずしも会社という組織に属さなければいけないというわけでも無い。良い学校出て、良い会社に就職をして、これで安泰で平和に暮らせると思ってません。

やりたい事があるし、続けていきたい仕事もあるけど、自分が思った通りに、自分が考えているままにやりたいだけ。誰かに強制的に手伝わせるとか、無理やりなことを押し付けることも無いし、自分の能力を活かして仕事をして、その対価としてお金を貰っているだけ。

なんともシンプルな生き方であり、誰にも迷惑をかけていない。

税金も納めているし、国民健康保険、国民年金保険、住民税、所得税もしっかりと払っているし。家賃、水道代、電気代、ガス代も滞納なんてした事が無いし。その他、使用しているデバイス関連使用料、インフラ使用料だってちゃんと払っている。

 

自分のライフサイクル

町内のドブ掃除にも参加してるし、近所の公園の草刈もやってるよ。不法投棄されないための見回りも交代でやってるよ。町内の氏神様のところには寄付してるし、お参りにも行ってる。お米とか野菜とか食材を買う時だって、同じ町内の小さな食材店で買うようにして、出来る限り自分が住んでいる町内でお金を使うようにしている。

町内のおばあちゃんからは結構な人気があるし。色々とやることがあるし、色々とお金は必要なんですよね。普通に生きているだけでもね。

そういった生活のサイクルというものがあって、その生活のサイクルというのは、その人の思ってることや、考えていることによって構築されるわけでしょ。

 

会社は非現実的?

会社という組織に属していると自分が思っていること、考えていることが具現化できなくなると思うんだよね。会社というのは組織だから、多くの人たちが従業員として集まるわけでしょ。それだけでも、普通じゃないと思うんだ。

小学校のクラスって何人でしたか? 40人くらいだったかな。 ひとまとめにして人間が40人居るだけでも限界。でも、会社というのは、もっと人が多くて、100人越えとか、200人とかになるんでしょ。今までに経験したことない数の人が集まるわけだから普通じゃないよ。経験したことがないし、普通じゃないからストレスとかさ、なんか疲れるんだろうね。

しかも、会社には町内のドブ掃除とか公園の草刈とかした事が無いという人も集まるわけで。不法投棄されないように見回りとかしたことが無いという人も多いわけじゃん。

町内のおばあちゃんから人気があるのか無いのかわからない人も居るわけでしょ。自分が住んでいる家、住んでいる町内で美しい行いが出来ないような人たちも居たりするわけだから、色々と問題起きるだろうなと思う。

別に、絶対に町内のドブ掃除とかしなきゃいけないとか、町内のおばあちゃんから人気を集めなければいけない訳じゃないけど。自分が住んでいる町で出来ないことを会社というフィルターを通して、やろうと思っても出来ないように思うんだ。自分の部屋とか、住んでる町の掃除が出来ないのに、会社で出来るわけないじゃん。やらないんだから。

 

社会貢献できているのか

だから、社会貢献をしていることを訴求するために、会社としても会社周りの掃除をしたり、ゴミ拾いをしていると思うんだけどね。自分から率先しないと無理だと思うけどね。

でも、会社としては売ろうと思っている商品、製品、サービスを人気商品にして、たくさん売りたい訳だし。だから、人気者になっていた方が、人気のあるモノが生み出せるんじゃないのかなと思ったりもする。人気というのは、チヤホヤされるとか、そういう事じゃないから。人気のあるモノというのは、人の心に響くものが多いから。やっぱり、美しい心が基本であり、基礎であり、必要不可欠なんだと思う。美しい心になれば、自然と人の気をひくことができるようになるし、人が集まってくるから。人の気を惹き付けるから、人気。ということで人気者になれる。

そもそもドブ掃除とか草刈とかゴミ拾いとかというのは、とても良い行いなんだけど、はっきりいってしまうとお金にはならないです。そうなんですよね。良い行いというのは、お金を儲けるということには直結しないことが多い。心を養うための行動というのはとても大変なんだけどお金にならないんですよね。でも、人としての心を磨くためにはとても大切なこと。お金にならないから掃除は絶対にしない、町内のゴミ拾いなんて時間の無駄だから、やらないという考えを持った企業が増えたり、お金にならないことは絶対にしないという社長が増えたらどうなるのだろうか?ということを考えると末恐ろしい。というか、少しずつそういう世の中になりつつあるんじゃないのかな。何かしたらミスをしても、そのミスを隠すし、謝らないし、反省する気も無さそうだし。企業としても人の心を理解して、美しい生き方、優しさを訴求することで、企業イメージもアップするだろうし、そういった気持ちが製品・商品・サービスにも反映されると思うんだけどね。ということは、お金にならないドブ掃除とか草刈とかというのは、やっぱり大切なんだろうね。

おばあちゃんに人気があるということは、おばあちゃん達に優しくしているからというか、高齢者に優しい行いをしているから、自然とそうなっただけであって、別に人気者になろうとは思ってないけど。

そもそも、私は会社という場所に行かなくても仕事ができるんじゃないのかなと思っていた方だから。

これからも、何があっても、貧乏でも、誰かに気に掛けられなくても、自分が信じているコトを追求していこうと思います。

ジョーダン・スピースというゴルファー

全米オープンゴルフという世界的に有名な大会が行われました。優勝したのが21歳のジョーダン・スピースというアメリカ出身のゴルファーです。ジョーダン・スピースは、少し前に開かれたオーガスタ マスターズ・トーナメントでも優勝をしています。メジャーな大会を連覇したということで、とても話題になっています。

ジョーダン・スピース
1993年7月27日

生年月日からして、七赤金星ですね。
もともとスーパースターなのかもしれない。

妹が自閉症で14歳だけど5歳程度の知能水準で、ジョーダン・スピースは兄として彼女をサポートしているようです。要介護ということだろうと思います。ジョーダン・スピース本人はこう言っていました。妹が居るお陰で毎日、謙虚な気持ちで生きることが出来ると。既に達観しているような感じがする。

しかも、様々な試合で良い成績を出すことが出来たので、2014年~2015年の今日までの獲得賞金は日本円で19億円を越えています。彼は、ジョーダン・スピース・ファミリー基金というのを設立してサポートが必要な子供や家族のための活動をしています。

自分のために頑張って、妹のために頑張って、家族のために頑張って、そして世界のどこかにサポートを必要している子供や家族のために頑張るという精神が素晴らしいですね。海外ではボランティアという言葉で表現されるのだろうと思うけど、日本では自利利他という言葉が似合うのではないかと思ったりします。自分が悟りを開くために努力をし、他人を助けるために尽くす、この2つを成し遂げること。大乗の理想。本人はそれを知っているのかどうかは判らないけど、美しい心、謙虚な心を持っているから、輝いていられるのだろうと思うし、自然の流れとなるんだろうな。自ずと然り。心豊かに生きる術を既に会得しているのかもしれない。

若くても天から授かった何かがあるのでしょうか。素晴らしいです。ジョーダン・スピースというゴルファーというページで詳しく紹介されています。

七赤金星のゴルファーは、何故かスーパースターが多いんですよね。
しかも、昔からスーパースターが多い。さすが金星。

ベン・ホーガン
1912年8月13日
七赤金星

タイガー・ウッズ
1975年12月30日
七赤金星

ジャック・ニクラス
1940年1月21日
七赤金星

こんなこと書いてよいのか判らないけど、書いちゃったけど。
武田信玄の時代からありましたからね。

自分の特質を知るということは、自分が何者なのかを知ることであり、自分が何をするべきかを知ることが出来るので、自分が生きている間に何をするべきなのか、何をしなきゃいけないのかが見えてきます。

自分の気付きを最大限に活かす仕事

仕事をしていて、気付いたことは必ずお客様には伝えるようにしている。仕事人として、それは当たり前の事だと思っている。

もし、私が仕事をしながら気付いたことを、お客様に知らせずにいたことで、不利益が発生したら、心が痛くなる。いや、それだけじゃなくて、自分が手がけている仕事のなかで気付きがあるということは、発注されたことだけの仕事だけではなく、その他の属性に影響を波及する恐れがあるかもしれないからというのもある。新たにウェブアプリやウィジェットを追加しようとした場合に、追加をしたことで発生する不具合、影響を事前に察知してお客様に知らせるということ。これは、お客様のためにもなるし、自分のためにもなる。後から不具合が発生して、手戻りでもう一度作業をしなければいけないというのは勘弁ですから。

というような仕事上の気付きはとても大切。

こういった気付きというのは、ある程度の知識、経験、先見が必要になるのではないかと思う。知識が無ければ、気付きようが無いし、先を見ようとしていないのであれば、自分の手元の今のお仕事のことしか見えてこないから。

気付きという言葉に似ているのが、気遣いという言葉。でも、気付きと気遣いは意味が異なる。気遣いは、対人であれば、相手の人を心配してあげる気持ちだったりする。気が付く 気を遣う どちらも気が主となる。気付きが無ければ、気遣いも出来ないと思う。気付いてなかったら、気遣いすら出来ないから。

ただ、人のためにつかう気というのは、人のためになると思う。人のために気をつかっていれば、自然と人気になれると婆様が言っておられたが、本当にそうかもしれないなと思う今日この頃。

私が発行した請求書の金額が少ない金額へと間違っていたら、お客様はわざわざ知らせてくれた。優しい。嬉しい。それも、きっと経理担当の人が見つけてくれて、お見積書と照らし合わせたところ金額を間違っているのを気付いてくれたんだと思う。請求金額を間違えるなんて、私は最低だなと思いながらも、これが気付きと気遣いかと思ったりもした。

持ちつ持たれつという言葉でまとめるわけではないが、気を遣ってもらったら、気を遣い返すということも大切なのかもしれないですね。

仕事も気付きと気遣いが本当に大切だと思う。この案件まずいなと思ったら、自分がまずいなと思っていることを早めに伝えた方が良い。伝える相手が居ない場合は問題だけどね。自分が気付いて、まずいなと思っているということは、そこには不安があるということでしょ。まずいんだから。少しでも不安を抱えて仕事をするよりは、不安が無い方が良いだろうし。自分自身のためにも気付いたことは気遣いへ行動にうつすことが賢明だね。

自分が気付いたことは、気遣いへ、そして実際に行動できるようにしていこう。

打ち合わせで直ぐに会いたがる人

仕事をしていて迷惑だなと思うのは、直ぐに会って打ち合わせをしたがる人。

そんなに会って話すことなんてあまり無いと思うような内容でも、会いたがるような人って居るじゃないですか。

会って打ち合わせをしたがる人というのは、相手に情報を伝達する方法、または手法をあまり知らない人が多いように感じるんだよね。インターネットという便利なインフラがあるのだから、もっと活用をすれば良いのになと思ってしまう。結局は、便利なネットワークよりもフットワークかよと思ってしまう。

実際に、お会いをしてお話を進めると、20分くらいでお話が終わってしまうこともあったりするし。つまり、話の中身が無いというやつです。昨今、お会いしてお話をするときというのは、どのような内容のお話をするのか、どのような問題を解決するのかなどを事前に決めて、お話し合いをすると思うんですけどね。

会うだけと言っても、移動する時間も必要になるわけじゃないですか。行って、帰ってきて、往復で1時間くらい。話して20分の1時間20分。メールで、まとめて送ってくれたほうが時間を効率よく使えるように思う。

こちらは、フリーで仕事をしているから、時間は大切だし。時間を費やした分だけは請求をさせてもらうという感じなので、出勤してタイムカードを押して、昼ごはん食べて、定時まで時間があるからなと考えながら、のんびりしているわけにはいかないんですよね。

ベトナム企業とアライアンス組んでるけど、会って話すこと無いし。というか、ベトナムだからさ、簡単に会えないし。メールかスカイプで意思の疎通が十分に出来ているし。言葉の違いによる錯誤も殆ど無い。

私は、仕事の打ち合わせで会わないと言っているわけじゃないですよ。大きなプロジェクトだったり、問題が起きているのであれば、お会いして話の道筋をつけたりすることもあります。それは、当たり前のことですよね。

東京に若い社長のウェブ関連の企業があるのだけど、賢いし何事もスマート。スタッフも若くてフレッシュ。何度も会社にお邪魔したことがあるけど、全てがスキーム化されており、短い時間で多くの仕事を捌けそうな空気が漂っている。

その、東京の社長のところのスタッフから、電話で打ち合わせをしたいとメールが来た。このようなことを確認したい、こういったことを質問をしたいというリストがメールで送られてくる。私の回答によって、幾つか方向性を持っているようなので、電話で受け答えた内容によっては、新たな質問事項などを追加したいということで電話でということになったんだと思うけど、予めお電話でお話しする内容がまとめられているので、私も準備が出来るし、答えに詰まることも無いし、考えながら話さなくても良いのでスムーズだよ。

限られた時間を一生懸命に生きているか、どうかというのは、その人の行動で見分けられるということが、よく判った。

ネットワークより、フットワークは、もう疲れますよ。

なんでもない事を徹底する 【 凡事徹底 】

なんでもない事を徹底するということの大切さを学んだことがある。
凡事徹底(ぼんじてってい)です。

松下幸之助さんは、取引先の企業がうまくいっているのかどうか、売りあがっているのかどうか、経営状態はどうなのかを瞬時に知ることが出来たと言われています。それは、具体的な売上高の数字などを見なくても知ることが出来たと言われています。その、見分け方には3つのポイントがあります。

(1) 挨拶が出来ているか
(2) 整理整頓が出来ているか
(3) トイレ清掃が出来ているか

この3つだけです。どれも簡単なことだし、基本的なことですが、それぞれとても重要なことばかり。基本的なことが出来ていなければ、それ以上のことも出来ないはず。それぞれの意味を、ひとつづつ解説をしていきます。

 

(1) 挨拶が出来ているか

挨拶というのは人としての交流の基礎、コミュニケーションのはじまりです。同じ会社に勤めていながら、挨拶をしないという人も居るかもしれないけど、同じ会社に勤める者同士であれば、あいさつをしてコミュニケーションをとることは大切なこと。社内の挨拶だけではなく、お客様が来社されたときの挨拶も大切です。あいさつが出来ないということは、コミュニケーションをとるという心を閉ざしていることになってしまう。

(2) 整理整頓が出来ているか

整理整頓が出来ていなければ、スムーズな作業、素早い仕事が出来ません。自分のデスクが散らかっていて、書類が重なり合って置かれているようでは、必要な書類を取り出すことにも時間を要してしまうこともあります。必要なものは必要な時に取り出せるようにしておくことが大切。煩雑な環境の中で丁寧で繊細な仕事は出来ません。

(3) トイレ清掃が出来ているか

トイレが綺麗だと気持ちが良いです。トイレが清潔に保たれているということは、他の場所も清潔にされているということを感じさせてくれます。そして、率先して自らがトイレ掃除をすることで、自分の心も磨かれます。

 

どれも基本的で当たり前の事ですし、企業だけではなく、レストランなど飲食店にも通じるようにも感じます。

凡事徹底(ぼんじてってい)をもういちど今の自分に照らし合わせて、基本的なことが出来てるのかを確認してみようと思う。お仕事で時間をとられてしまってデスクトップは作業で生成されたPSDファイルなどが広がりを見せつつあるので、少しづつ片付けていこうと思う。

挨拶なんて、とても基本的なことですからね。自分が住んでいる地域、町内の人たちとの挨拶からはじまり、自分のオフィスを構えているビルに入居をしている他の企業の方たちとの挨拶などなど、顔を合わせたら挨拶をするということは、仕事だけではなくても必要とされる基本的なコミュニケーションのはじまり。

私たちが手元でつくりあげているデジタルなソフトなどは、これからも進化をするだろうし、もっと便利になるはず。だけど、基本的な面だけは手を抜かずにしなければいけない。

新しい未来も凡事徹底があるからこそつくれるのだと思う。

お互いの仕事内容を理解していない

デザイナーも営業もシステム側も誰もがお互いの仕事内容を理解していないから色々と誤解が発生するのだと思う。

デザイナーとしても後出しジャンケンのようにクライアントからの要望やら修正が出来たら大変だし。デザイン屋としては、自分が一度出したデザインは、ひとまずはこれで90%は上がりだなと思っているはず。だって、もともと何もないところから生み出した創作物だから、もういちど生み出すというのは、けっこう大変なこと。

でも、なかなか営業さんはわかってくれなくて、クライアントの言われるがまま要望、修正を聞いてきてしまって、やることばっかりが増えてしまうような気持ちになってしまうこともある。

クライアントに言われたときに、その場で突き返せよとか思うかもしれない。でも、そんなことを営業さんに言ってはいけない。営業さんもけっこう大変だから。そんなに文句があるのであれば、デザイナーがクライアントと直接話を聞いてみるというのも良いかもしれない。

システム側としても、工期が長い案件になると、当初の仕様書とは全く違ったものを作っているような気持ちになることがある。これは、おかしいと思っても営業さんがクライアントから聞いてきた内容だからということで進めてしまうこともある。けっこうシステムというのは工期が長くなると当初の思惑とは全く違うものを目指していることがあるので、かなり厄介。というよりも、そういった状態になってしまったことが既に大きな問題だったりするわけで。

でも、デザイナーも営業もシステム側もお互いの仕事を理解していないから、愚痴やらが出るんだと思う。

誰もが大変なんですよ。

一番、大変なのは営業さんだと思う。仕事をとってきているのに、文句言われたりなんかするんだからさ。文句言うんだったらやるなよと言いたくなる。直接的に売上に貢献しているんだから。仕事があるから、案件があるから、デザイナーという職種が必要になるわけであって、システムのお仕事があるからシステム屋さんが必要になるわけであって、仕事がなかったら用無しなわけですよ。

仕事って自然とやってくるものじゃないから。

会社という組織の中にいれば、会社として仕事を受けて、従業員が仕事をこなすということになるのだろうと思う。そのなかに自分がやりたくない仕事などもあるはず。でも、やりたくなかったら会社を辞めるしかないかもしれない。

フリーでやっていると大変ですよ。

嫌な仕事もやらなきゃいけないこともあるけど、断ることもできるから。でも、断るとお仕事が入ってこなくなるというリスクもあったりするので、その辺りは自分の采配で決める。

もう少し、お互いの仕事内容を理解して、立場を把握して、協力し合えば今以上に良い仕事が出来ると思う。たった1人でできることなんて限られているから。だから、会社という組織で人を集めて、ベクトルを揃えて仕事をしているのだと思うから。

技術力、デザイン力も大切だけど、こういった相手を思いやる気持ちというか、相手のことを理解してあげる気持ちの方が、はるかに重要だと思うんだ。

時代が変わりつつある 働き方も変わる

時代が変わりつつありますよね。

今まで当たり前だったような古い習慣なども廃れつつありますし、考え方も変わってきているように感じるし、古い習慣、仕来りのようなことが廃ってしまうことが良いことなのか、どうかは分かりませんが。

ただ、時代の流れに伴って必要となる事に変化があるんだと思う。

時代は変わったなと思ったのは、会社という組織に属して働かないという人が増えてきているということです。そして、企業によっては社員として働く人の副業を認めているような企業もあります。ひとむかし前であれば、副業は絶対禁止ということが当たり前でした。ですが、昨今では副業をすることで、新たなアイデアを生み出すきっかけになると考えています。

昔は、SOHO、フリーランサーというような肩書で働く人は少なからずいた。私自身もそんなスタイルで仕事をしていました。当時は、ベンチャー企業、IT企業という言葉があまり浸透していなかった時代だった。

ヤフオクが立ち上がって、mixiというSNSなるものが登場してきました。

ヤフオクは1999年からだったので、よく憶えてます。

そして、SOHOビレッジなるものがあり、フリーで働いている人たちが仕事をするための空間をシェアしあっているレンタルオフィスがありました。SOHOビレッジといのは、呼び方は色々ありましたけどね。特にはIT系、クリエイター系に特化しているような空間もあったりしました。

1人で仕事をしているのだけど、空間には他の人も居たりして、精神的な安心感がありました。その空間でコミューンが出来たり、色々なプロジェクトに参加をすることも出来ました。

現代でいうところのコワーキングスペースのような雰囲気でした。当時は、SOHOとかフリーランスとか言うと、フリーターから派制した感じだろうと、けっこう軽く見られていましたけどね。

昨今では、インターネットが普及して、インターネットに接続することが当たり前となり、様々な新しいビジネスが生まれました。新しいビジネスが生まれれば、新しい働き方も生まれてきます。会社という組織に属することなく、個人のチカラだけで仕事をしていこうという人も増えてきました。

特にクリエイターの人達はクラウドソーシングなどを活用していけば、それなりに仕事を確保することも出来るようになったし、主婦の人でも自宅で仕事ができるような時代となりました。

個人の能力が活かされる時代になってきたと言えますよね。

個人の能力が活かされれば、その人 個人に注目をする人たちや企業なども出てきます。今まで自分では、大したこと無い能力だと思っていたけど、他人からしたら重宝される能力を持っているというようは人も居たりして、新たな人材を発掘するということも、容易になってきました。

どのような働き方であっても、自分の未来、自分の将来を見据えることは大切です。

SOHO、フリーランサーとして自由きままに仕事が出来るのは素晴らしいです。ですが、SOHO、フリーランサーとしての要となるのは自分自身です。自分自身が仕事が出来なくなったら・・・そういったことも考えなければいけないなと、最近は思います。

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